
人類の負の遺産と言われるアウシュヴィッツからの数少ない生存者の一人がエディ・ジェイクさんです。
- 「世界でいちばん幸せな男」エディ・ジェイク
- 「アウシュビッツ強制収容所の生存者」エディ・ジェイク
エディ・ジェイクさんは、1920年4月14日にドイツで生まれたユダヤ人でした。
でも自分はドイツ人としての誇りを忘れずに、子供の頃から勉学に励む素晴らしい人物でした。
しかし、1938年反ユダヤ主義者の大暴動「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」で、ブーヘンヴァルト強制収容所に送られます。
それからは、ドイツではユダヤ人として迫害され、ベルギーに逃亡すればドイツ人として逮捕され強制収容所に収容され、最後にはアウシュヴィッツで、両親はガス室で殺害され、エディ・ジェイク本人は強制労働収容所に収容されます。
そんな非情な運命に翻弄されながらも、体力と精神力と教育で身につけた知識・技術を武器に必死にアウシュヴィッツ収容所を生き延びます。
そして、アウシュヴィッツから生存してからは、家族でオーストラリアに移住し、アウシュヴィッツの体験を多くの人に語っておられます。
そんな凄惨な経験をしたエディ・ジェイクさんから語られる「美しい人生」の見つけ方が綴られているのが、「世界でいちばん幸せな男、101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方」です。
アウシュヴィッツを綴ったノンフィクション作品としてだけではなく、父親を失い、母親を失い、親戚、友人、仲間を失っていき、ユダヤ人を人間として扱われないアウシュヴィッツという苦しみの中で、エディ・ジェイクさんを支えてくれたものが語られています。

私は本を読んで、エディ・ジェイクさんは、どうやって「世界でいちばん幸せな男」という美しくて豊かな人生を手に入れることが出来たのか。をみんなに知って欲しいと思いました。
まずは、ご存じの人も多いと思いますが、アウシュヴィッツ強制収容所を説明させていただきます。
アウシュビッツはドイツ人が設置した最大規模の強制収容所でした。アウシュビッツは、火葬場、絶滅収容所、および強制労働収容所がある強制収容所の集合体でした。
ポーランドのクラクフ近郊にありました。アウシュビッツ強制収容所は、アウシュビッツ第1強制収容所、アウシュビッツ第2強制収容所(ビルケナウ)、およびアウシュビッツ第3強制収容所(モノヴィッツ)の3つの大規模な強制収容所で構成されていました。収容されていたユダヤ人の10人中9人、100万人を超える人々がアウシュビッツで命を失いました。4つの巨大なガス室は、それぞれ同時に2,000人が入れました。
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/auschwitz-1
今回ご紹介する本
本の内容
アウシュヴィッツの痛みや苦しみ、悲しみを語ったノンフィクション作品でもありますが、本書はそんな過酷な中で、「エディ・ジェイクさんを支えてくれた事」が語られています。
アウシュヴィッツの体験は、痛みを伴って心に深く刺さり、エディ・ジェイクさんの言葉は、心に深く刻まれます。
- お金より大切なものはたくさんある。
- 弱さは憎しみに支配されることがある。
- 今日を生きのびれば明日はくる。一歩ずつ進むこと。
- やさしさはどこにでもみつけられる。見知らぬ人からもらうこともある。
- 母親を抱きしめよう。
- 一人の親友が、わたしの世界のすべて
- 教育は身を助ける。
- モラルを失えば、自分を失う。
- 人間の体は最高の機械
- 命あるところに、希望はある。
- 世界ではつねに奇跡が起きている。たとえ暗くみえるときでも。
- 愛は最良の癒し。
- わたしたちは大きな社会の一部であり、すべての人が自由で安全に生きられるように尽力すべき
- 分かち合えば悲しみは半分に、喜びは倍になる。
- 分かち合うべきは苦しみではない。希望だ。

あなたも私とおなじようにエディ・ジェイクさんの新しい友人になりませんか。
本を読んで心に刻んだ事
友人の大切さ
アウシュヴィッツは死の収容所。そんな中で生きのびたのは「親友のクルト」のおかげと語れています。
「友情が無ければ、人間は壊れてしまう。友人とは生きている事を実感させてくれる人」だと語られています。
私もこれからも今まで以上に、友人を大事にしていきたいと思います。
教育と仕事の重要性
エディ・ジェイクさんは、父親の教えで勉学に励み、優れた技術者になっていました。その技術者としての知識で幾度となく命を救われています。
私の子供達にも口酸っぱく「教育と仕事の重要性」を伝えていきたいと思います。
命あるところに希望はある。
エディ・ジェイクさんは、アウシュヴィッツから逃走し、アメリカ軍に救われた時にはコレラと腸チフスにかかり、栄養失調で体重は28キロしかなかったそうです。
病院で、生きのびられる確率は35%と言われたそうです。
それでもモラルを失わず、希望を持っていれば、奇跡は起こせる。そして明日は必ず来る。という信念を失いませんでした。
「命あるところに希望はある。」私も、山あり谷ありの人生ですが、この言葉を刻んで生きていきたいと思います。
愛は最良の癒し
エディ・ジェイクさんは、アウシュヴィッツから生存して、素晴らしい女性と結婚して、日常の生活を取り戻しても「私は、幸せではない」と感じていたそうです。
「なぜ生きているのか、本当に生きたいのか。」と悩んでいたそうです。
その時長男が生まれ、初めて長男を抱きしめた時に奇跡が起こった。と語られています。
「心が癒され、あふれんばかりの幸福感がよみがえり、その日から世界一幸福な男だ。」と思ったそうです。
エディ・ジェイクさんの心を治したのは、妻と子供だったと語っておられます。
家族と一緒に暮らしていると、煩わしく思う事もあるかも知れませんが、それでも私はこれからも家族を大事にしようと思います。

エディ・ジェイクさんの言葉から学ぶことは他にも沢山ありますが、私はまず一番身近に感じる言葉から心に刻んで生きたいと思います。
まとめ
エディ・ジェイクさんが人生の指針にしている言葉も紹介されていました。
- 分かち合える愛が、いつもたくさんありますように
- 健康でたくさん生きられますように
- 大切に思ってくれる友がたくさんいますように
101歳になるまで何度も「なぜ、自分がこんな目にあわないといけなかったのか」と考えたのでないかと思います。
そして、ヒトラーをドイツ人を憎んだ日もあったと思います。
それでもエディ・ジェイクさんは、「誰も憎まない、ヒトラーさえ憎まない」と語られています。私は、同じ経験をして、そんなふうに考える事は出来ないと思います。
自分がほほえめば、世界がほほえむ。人生はいつも幸せとはかぎらない。
つらい日もたくさんある。しかし、生きているのは幸運だ。それを忘れてはいけない。
その意味では、いま生きているだれもが幸運だ。
ひと呼吸ひと呼吸が贈り物だ。
人生は美しいものにしようと思えば、美しいものになる。
幸せはあなたの手の中にある。
作品名「世界でいちばん幸せな男、101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方」
私は、本書の最後に語られている言葉をいつも忘れずに生きていきたいと思います。
そして、新しいエディ・ジェイクさんの友人として、胸を張って生きたいと思いました。
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